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Act.4 数学者の部屋


「少なくとも数学者だけは、自分たちが役に立つなどとは決して言わなかった。
何故なら、それが我々の唯一の心理であり、名誉なのだ」



岸野「じゃ、お邪魔しますと言って、きちんと折り目正しく、中に入らしてもらいます。――屋敷の中ですよね?」

浮田「蔵に案内されたりして(笑)」

「屋敷です(笑)。2階に入って、北西の隅っこの角部屋なんですが、そこに通されますと、広いシンプルな部屋でして、入り口は手前だけ。非常に大きなホワイトボードが部屋の二面――正面と右側――を覆っています。残りの一面(左側)に唯一の窓があります。窓はそんなに大きなものではありません」

岸野「部屋の造りっていうのは、やっぱり和風の?」

「日本家屋の造りですけれど、床は板張りで畳ではありません。椅子と机がありますが、これも和風というわけではない」

岸野「てことは、靴脱いで上がっているんですよね?」

「そうです。靴脱いでます。でもって、ホワイトボードにはマジックで書かれたいっぱいの数式が。
 そして、部屋のほぼ中央で、ゆったりとした椅子に座っている人物が、くるっと振り向くわけではないですが(笑)」

岸野「残念」

「計算上、おそらく50歳くらいなのでしょうけれど、とてもそうは見えないほどに若々しい。凛とした、確かにカリスマ性を感じさせる顔つきです。
 衣装としましては、紫色っぽいゆったりとしたカーディガン風のものとかパンツとかを着ておりまして、足は裸足です。
 ――さらに、目に大きな特徴がありまして、右眼が緑、左眼が赤」

岸野「うわっ」

「オッド・アイってやつですね。白目の部分ではなく黒目のところです(笑)」

岸野「そりゃそうでしょう(笑)」

浮田「それを隠すためにサングラスしていたりということは?」

「してないです」

岸野「コンタクトでもないのかな」

「岸野さんが入ってくると、彼女が口を開いた。『何かね。用件を言い給え』と。
 ちなみに木辺は階段を下りていきましたので、ふたりっきりです」

岸野「さっき木辺さんに申し上げたとおり、私、文筆を生業としておりまして、色々な方から、麻耶野先生の消息を知りたいと――決して興味本位ではなく、麻耶野先生の研究業績とかを再評価といった形で、おそらく時代に先駆けすぎていたものを、今の時代になってきてようやく理解が追いつこうと、あるいは理解しようという意識の変化みたいなものがあるようでして、できることならば、今一度前線にお出でいただいて、ご指導などを賜りたいと、各方面から声がありまして。
 大挙してそういった方々が押しかけるのもお邪魔でしょうし、今回は私がお手伝いという形で、先生のお許しとご指導を仰げればありがたいということで、お邪魔いたしました」

「『私には興味のないことだ』」

岸野「え」

山形「世の中の評価なんて興味ないわよって」

「『7年前に君たちの評価は決定していた』」

岸野「それは、そのころ数学畑で働いていた人たちが、麻耶野先生に対して下した評価ですか? それとも、先生が世間に対して下された評価のことですか?」

「『後者だ』」

岸野「うーむ。しかし、先生は最初に著作を著されたではないですか」

「『確かに私は『他元数学概論』をものした。しかしそれは、こちらの次元のルールには、まだ即していない』」

西郷「(笑)“こちらの”ですよ“こちらの”(笑)」

山形「“あちら側”からやって来たんだ」

岸野「しかし先生、専門外である私が言うのもおこがましいですが、時代の流れは確実に前進はしているはずです。そういったこともなしに、この私のような者が、のこのこ伺ってくるようなことが今まであったのでしょうか?」

「『今までとは、今日までという意味かね?』」

岸野「そういうことです。ありていに申せば、7年前ないし8年前に先生が著作をものされて、世間がちょっとかまびすしくなったとき以来ですが。
 あのとき理解できなかった人たちは前線から退いているでしょうし、あるいは逆にそのころ一線で研究していなかった若い人間が、今では、先生の衣鉢を継ぐと言っては失礼かもしれませんが、それに値する人材も出てきておりましょうし、そういった流れの中で、先生、もう一度ご指導いただけませんでしょうか――という声に後押しされて、ちょっとお邪魔したんですけれども」

「『繰り返すが、私には興味がない』」

岸野「弱ったね」

「とりつく島もない」

岸野「先生が興味がないと仰っているところを無礼にお邪魔するわけにもいきませんが、今の先生のご心情を、私をここに使わした人間に知ってもらう意味でも、私にも報告する義務がありますので、何かお言葉をいただけたらありがたいのですが。
 ――とにかく、何かインタビューして、会話してほしいなという気持ちを。こっそりICレコーダーもつけておきます」

「『君は、私の本を読んだことがあるのかね?』」

岸野「『他元数学概論』ですよね? 正直に申し上げますが、全然理解は及びませんでした。ただ、既存の数学という形で触れているものとは何か違うものが書かれているんじゃないかな、という気は直感的にしておりましたが――これは素人の浅はかな勘ですので、お気になさらないでください」

「『そもそも数学とは、なんだと思うかね?』」

岸野「ピタゴラスの言葉を借りれば、自然は――うんたらかんたらと引用して(笑)、自然は数が支配していると言いますから、自然科学の基礎とか、そういった形で理解していいのでしょうか」

「『それは君の意見かね?』」

岸野「まあ、私なりの意見です」

「『ピタゴラスは純粋な探求者だった』」

岸野「ほう。そこからメモに書いておきますね。ぴ、た、ご、ら、す」

「『確かに数学とは世界のルールだ』」

岸野「これはいいフレーズだ。――この調子なら、たぶん、この手の人は結構いい調子で喋ってくれるんだよな的な期待を抱きながら、喋ってくれ喋ってくれと思って聞いてます」

「『世界を定義するためには数学が必要だが、逆に考えれば、数学で定義できるものは世界に存在しうるものである』」

岸野「それは、人間が観測しなければ宇宙が存在しない、といったようなことがありますが、ああいうものと考え方は同じということでよろしいのでしょうか?」

「『それは詭弁だ』」

岸野「ああ、失礼しました(笑)。……じゃあ、今、麻耶野の数学観と言うか、もったいなくも講義を拝聴してるわけですよね? とりあえずこいつは、ずっと喋ってもらえればありがたいんで、何を喋られても相槌を打ったりしならが、なるたけ色んなことを聞いて、そのうち帰ろうぐらいに思ってますけど」

「そうですね、あまり多くは語らずに、断片的に印象的なフレーズをちょこちょこと言う程度で」

岸野「やばい。カリスマだ」

「『君たちの言葉で言えば、私は君たちに“愛想をつかしている”』」

岸野「ああ、それは、なんとも、申し訳ございません(笑)」

「『君の責任ではない』」

岸野「じゃあ、ひとしきり会話が終わって、そろそろおいとまか、という空気になったとしたら、その前に――、こちらのホワイトボードに書かれてある数式は、先生が最後に著作を書かれた以降の、研究の成果なのでしょうか?」

「『そのとおりだ』」

岸野「もちろん私は素人なので、これを一瞥してどういう意味があるのかは解りませんが、この数式は、たとえば先ほど既存の数学には当てはまらないと仰いましたが、何を表しているのでしょう? この数式がまさに世界のルールを表しているのでしょうか?」

「『この数式は――』と言って立ち上がって――」

岸野「おお、立ち上がった」

「『――すでに完成されている』」

西郷「それを覚えていくんだ! なんとか覚えるんだ!」

岸野「しゃ、しゃ、写真、写真! ――怒られるかもしんねえからなあ、カメラ出すと」

「『この数式は、君たちの言葉で言えば、他元を証明するものだ』」

岸野「この数式で、それが成されるのですか?」

「『見てのとおりだ』と言う(笑)」

岸野「がーん(笑)。解らん。……先生、恐縮ですが、私の頭でこれを理解するのはお話にもなりませんが、この数式を写真に収めさせていただいて、在野の先生方の薫陶を仰ぎたいと思っているのですが、見せることは適いませんでしょうか?」

「『それは無駄なことだ』」

岸野「そうですか……」

「『それに焦らずとも、私は近々この数式を世に送り出すこととなる』」

山形「世の中が変わるんだ(笑)」

「『今はまだ、その時期ではない』」

岸野「解りました。少なくとも先生は、隠遁されたというわけではなく、あくまでも改めて世に問うチャンスを窺っていらしたという形で、各方面に報告させていただいてよろしいでしょうか?」

「『君がそう定義するのなら、そうし給え』」

岸野「ならそれでいこう。解ったような解らんような。――では、そうさせていただきます。
 それともうひとつ、不躾なお話ですが、ここで先生のご尊顔を1枚写真に収めさせていただいてよろしいでしょうか?」

「『その必要はない』」

岸野「ええーっ、定義したいのにー(笑)。弱ったなあ。その必要はないって怒られちゃった」

西郷「そういえば、玄関で靴を脱いだとき、子供用の靴とかなかった?」

岸野「あれば気づくよ」

「そうだね。見あたらなかった。――それとちなみに、この部屋の北側に窓がありまして、そこから北西の方角に、例の時計塔が見えます」

岸野「じゃあ、せっかくだから、窓から時計塔を眺めて、――この部屋からは、常にあの時計塔が目に入るんですねえ、と。あの時計塔の針があの時刻を指したまま止まってしまってから、もう何年の歳月が経つんでしょうねえ。と、返事を期待するでもなくつぶやく」

「『50年になる』」

岸野「50年!」

西郷「爺ちゃんも研究していたから……」

岸野「そうだ、しかもその研究をベースにして発展させたのが、『他元数学概論』だったね」

西郷「お爺ちゃんのせいなんじゃない? 村が滅びたのは」

岸野「そう定義しちゃったのかな。……いや、そんなこと気づくわけないじゃないか。<アイデア>ロールに成功したわけでもないのに。
 ――50年と仰いますと、まだ先生のお爺様がご健在でいらした、あの折ですか。と、なんとなーく、そうそう、俺も思い出したんだよーんという感じで(笑)」

「『そのとおりだ』」

岸野「お爺さんのことで思い出しました。先生の『他元数学概論』は、お爺様の麻耶野博士の研究をベースに敷衍されたものだと伺っております。その当時、お爺様は広く内外にご自身の研究を問いかけることはなかったのでしょうか?」

「『その事実はない』」

岸野「親子3代に渡る研究成果が、いまだに世間から正当な評価を得られていないという事実は、素人の私にとっても納得いかないような気がするんですがねえ」

「『君のその言葉には、誤りがある』」

岸野「誤りですか?」

「『3代に渡っての研究ではない。2代に渡っての研究だ』」

浮田「父ちゃん母ちゃん関係ないってことか」

岸野「その誤りだけ訂正されても、それは別に、こっちもどうでもいいんであって――(笑)。うーん、ちっとも反応してくれねえ人だなあ。弱ったなあ。
 ……じゃあ、最後、駄目もとで言ってみます。――先ほど、写真を撮る必要がないと仰いましたが、これは私の個人的な記念のためにも、時計塔を背景に(笑)、先生を写真に収めさせていただきたいんですが、お許しいただけませんか?」

「『他に質問がないのであれば、帰り給え』」

岸野「返事がそれだったら、写真は諦めて、――先生、最後に、本当に不躾な質問で恐縮ですが、その眼は生まれつきでいらっしゃるので?」

「『そのとおりだ。麻耶野家の特徴でもある』」

岸野「じゃあ、テレビに出ていたときなんかも、この眼で有名になったりしてたわけですかね?」

「そうだね、最初に麻耶野数美について<知識>ロールに成功した人は、もとから知っていたことにしていいです」

(先に言うの忘れてた)

岸野「この部屋の中ってのは、時計塔が見える窓と、ホワイトボード以外には、あと何もないんですか?」

「ないです。椅子と机があるくらい。本棚もないです。あとは、おそらく夜中についていたのであろうランプが天井にぶら下がっていますが」

浮田「パソコンもない?」

「ないです。おそらく電気は来ていないでしょう」

浮田「ノートや本のたぐいも?」

「筆記用具はホワイトボードくらいです」

浮田「ベッドや布団なんかがあるわけでは?」

「ない」

西郷「眠らないんだ」

浮田「いや、そんなことはありえない。眠らないなんて人間じゃない」

「ではここで、<アイデア>ロールを」

岸野「(コロコロ……)成功」

「すると、麻耶野数美から、通常の人間とは違った空気と言うか雰囲気を感じました。目つきも通常とは異なるものを感じます。まるで超然と見下ろしているような、と言ったら大袈裟かもしれませんが」

岸野「たとえばそれは、人間が飼い犬に向ける眼差しみたいな感じですか?」

「そんな感じですね」

岸野「――それでは、長いお時間を取らせて失礼いたしました。そろそろ失礼したいと思います。
 ……ときに、先生はご自身でも仰ってましたが、絶対に眠らないということでしたね? 今ふと思ったんですが、数学が世界のルールであって、世界を定義するものであるならば、定義できないということは、その世界はないということになりますね。
 たとえば、我々に意識があるのは、眠らずに起きているときだけで、そのときだけ我々は世界を認識できるわけで、眠っている間は全然認識できないわけですけれど、すると、先生が眠らないのであれば、常に先生には世界が存在し続けるんですよね? 我々は半分存在していない世界と存在している世界とを行き来しているだけのようですね?」

「『面白い質問だ。実に面白い質問だ』」

岸野「カリスマな人に褒められちゃった(笑)。ウキウキして本来の目的を忘れそうになりながら帰ります」

「ではその前に、彼女が続けて言うには、『君の言うとおり、私は常に自由だ。常に思考が連続している』」

岸野「ふーむ。……じゃあ、お礼を言って、失礼します、と出ていく。――勝手に部屋から出ていって構わないんですか?」

「そうですね」

岸野「端っこの部屋だったから、下りていくまでに、部屋が幾つぐらいあるか見ておきます」

「まあ、ざっと見渡すと、いくつも部屋はあるなあ、という感じですが」

岸野「失礼にならない程度に、そっと覗きたいんですけど」

「特に変なものはないですけど(笑)、他の部屋は傷んでいて、掃除もされていないなあという印象です。博士の部屋は綺麗でしたが」

岸野「なんだなんだ、綺麗な世界は定義されていないじゃないか! と呟きながら下りていきますけど。そのとき、他の人の気配とかはしませんかね?」

「<聞き耳>を」

岸野「出ないんだなぁ、これがまた。(コロコロ……)失敗!」

「しーんとしています」

岸野「自分の足音だけが聞こえて、階段まで行ったら、しょうがねえ、下りるしかないか」

「下りると木辺がいまして、でも特に声をかけるまでもなく、一瞥されただけです。さっさと帰れといった雰囲気ですね」

岸野「木辺さんには、こっちから、ありがとうございましたと言って、好印象を持ってもらうように努めますけど」

「無愛想ながらも、頷き返してくる」

岸野「しかし木辺はなんで、こんな浮浪者みたいな格好してるんだろう」

「無頓着すぎ、って感じですね」

山形「学者先生だから見た目にこだわらないのか」

岸野「ちょっと不自然な気もするんだけど、一応まだまともな人間そうだから、それを直接尋ねて、ここで不機嫌になったら厭だしなあ」

浮田「それは、数学に魂を売っちゃってるからじゃないですか」

岸野「かなあ。っつーか、下男なら掃除しろよ。数美たんは、そんな汚いの厭だと思うんだけどなあ」

西郷「でも、別にそういうのに頓着しないんじゃない?」

岸野「そうか。まあ、しょうがない。ここは退散しますよ。家を出るときに、やっぱり、変なことはないかと、あたりを気にはしてみますけど」

「何もないですねえ」

岸野「何もなければ、出て、もう1回ぐらい周りを回ってみて、それから2階のほうを見たりもしながら、ウロウロしますが」

「そうですね、特にこれといって変わったことは――蔵の扉が、昨夜と違ってしっかり閉じられていることぐらいでしょうか」

岸野「そうか。蔵に行くチャンスがなかった。帰る前に、あの蔵はなんですか? って訊けばよかった」

西郷「農作業に使うものを入れておくとこですよ、って言われそう」

岸野「じゃ、とりあえずはいいや。帰りましょう」

(岸野のプレイヤー様、お疲れ様でした)

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